自分のルーツを探す旅

真面目な人間による真面目なブログです。

本当は何がしたいのか?

最近、自分でしたいことして稼ぎたいなぁと漠然と思っているけれど、何から始めていいのか?

 

自分の本心では分かっているんだけど、こんなことしたらどうなんだろう?とか周りからどう思われんだろう?とか、まあ、いろいろ考える。考えたところで答えなんか出るはずもなく、やりたいなと思ったことをやればいいだけの話。

 

さて、わたしは本当は何をやりたいのか?

それは、自分のすべてを世界に出し切ってしまいたいと思っている。

 

自分の内にあるものをすべて、出し切ってしまわないと自分が本当に求めているものは得られない。人間の深い、まだ自分でも気づいていないような深い欲求が間違いなくある。

 

この深い欲求を心底満たしたいと常々思ってきた。そのためには自分という人間をさらけ出さないとならないとな思っている。

 

世界に自分という存在をすべて投げ出して初めて、この宇宙と自分とはひとつであったということが分かると思う。

 

自分が差し出してもないのに、欲しいものなんか手に入るわけもなく、本当にアウトプットをいかにしていくのか?

 

自分の本心から出てくる言葉をいかに世界に差し出すのか?

 

本当にこれからのテーマになってくる

 

 

 

 

 

単発バイト

最近、お金に困ることが多いので
今日は生まれて始めて単発バイトに行った

 

最初から予想していたけど
目に力が無くなった男性たちが
すごく目に付く

 

きっと、心の中では「なんで俺の人生、こんなふうになっちゃったんだろう」とか「なんで俺こんなことしてんだろう」とか色々、勝手な推測だけど自分の中で葛藤してるんだろうなと感じた

 

自分も今まで、誰にでも出来る、ちょっとやればすぐにでも覚えられるような仕事しかして来なかったので、こういう男性たちはよく目にしてきた。

 

自分もそういう仕事しかして来なかったので、自分の仕事にも、自分自身にも全然誇りがもてなかった

 

よく一緒に働いているおじさんとかから、こんなところにいないで、もっといい所に行きなと何度となく、そんな言葉を耳にした。

 

そこで働くおじさんたちも、普段は気さくでいい人たちなんだけど、なんとなく何か自分の身分などに対して、劣等感を感じているように常々感じていた。

 

今回、単発のバイトに行って久しぶりにそんなおじさんや浮かない顔をした若者たちをみて、やっぱり心がざわついた。

 

人生を諦めきってしまったような顔つきをみて、かつての自分を見ているかのようだった

 

社会的に地位や肩書き、その他何か技能的なものを持っていない、自分自身が一体何のために生きているか分からない。何が楽しくて、何をしようとしているのかも、一体自分が何をしたいのかすら分からない。

 

そんな誰にも気づかれない孤独を抱えている人の雰囲気はやっぱり独特なものがある

 

かつて、自分もそうだった

 

いろいろな人に出会い、いろいろな関係性が出来てくるなかで、今回の単発バイトもかつてのような絶望感は感じなかった

 

彼らに、そしてかつての自分にもっとも必要だったもの。

 

それは、地位や肩書きや、社会的ポジションなどではなく、それは「人との関係性」だ

 

人との関係性を通して、人は希望を感じ、人との関係性を通して、人は活力を生み出す

 

かつての自分や、そして絶望しきっている人たちに、人生はいつでも、今からでもまた、始められるということを伝えられる人間になりたいなと思った