自分のルーツを探す旅

真面目な人間による真面目なブログです。

結局自分で自分を救うしかない

結局自分で自分を救うしかないんだ

周りの人たちは最大限自分を救おうと

いろいろ助力はしてくれるけど

最終的に自分を救うのは自分自身だけ

18の頃に誰も到達できないところまで

きてしまって完全に自分しかいない領域にまで

きてしまって、もう誰も来れない

救い出せない領域にきてしまって

もうこの世界にあっちゃいけない存在しちゃ

いけないところまで来てしまったという

完全孤独のところまできてしまって。

でも、さっき思ったんだ

 

ここにいるのはわたしだけなんだから

もしそこから浮かばれるのなら

浮かばせるのなら

自分自身でそれを決断して

自分の力で浮かばれる以外ないんだ

 

いつもいつも自分の人生に投げやりで

中途半端でどうでもいいと思っていた

 

この自分はもう存在しちゃいけない存在なんだ

って深く確信してたから

 

でもそこからもし浮かばれるとしたら

自分しかいない領域からみんなのいるところまで自分で浮かばれるしか方法がないんだ

 

誰もいないところから

みんなのいるところまで

帰っていきたい

 

ほんとうに孤独だったから

でもずっとみんなのいるところまで

帰りたいってずっと叫んでた

 

もしみんなのところまで

帰るならいろいろ周りは言ってくれるけど

 

最終的に自分の意志でそこまで

帰らないといけない

 

ひとりになるところまで行って

そしてみんなのところまで帰る

 

それはみんな同じことなのかな

 

分からないけれど

 

自分の力でしかみんなのところにまでは

帰れない

 

だったらもう一度決断して

今までずっと諦めてたけど

みんなのところにまで帰ってみよう

 

真面目に生き直してみよう

 

それができたら多くの人の希望となる

 

そして多くの人がそれを心の奥深くで

求めているのが分かる

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自分の20代の何もやってなさ加減に嫌気が差す

最近、ようやく自分の想いを人に伝えるということに意識が向いてきた。

 

しかし、自分の想いを人に伝えるとなると

ツールが話すか文章を書くくらいしか方法がない。

 

自分の表現手段の少なさに愕然とする。

 

あまりに自分がそういった手段を持っていないものだから、「一体この長い間、自分はなにをやっていたんだ」と自分の今までの人生を後悔した。

 

ずっとずっと、ブログなり動画編集なりそれとパソコンでできる表現手段は無数にあったにもかかわらず、それを使っていなかった怠慢や自分にもきっとできると分かっていながらも、そういった手段を勉強しなかった自分はかなり嫌いだ。

 

20代の頃に勉強していれば

今頃、自分の想いを今よりも人に簡単に伝えられたであろうに。

 

表現手段を勉強していれば、今頃どんな仕事でもこなせただろうに。

 

自分を伝えるということを全然してこなかった自分を責めざるを得ない。

 

ずっと今まで自分の人生を諦めてきたし、自分の想いなど伝える価値もないと思っていたから、その手段を覚えるモチベーションが湧かなかったのも事実だが、やっぱりそれでも自分の表現の幅や拙さにもう嫌気が差して、ほんと死にたくなるくらい悔しくなる。

 

「なんで今までやって来なかったんだ」

「なんで今までやって来なかったんだ」

 

そんな想いが頭を駆け巡る

 

でも、それをしなければならない状況も

実際なかったのも事実だし、ようやく自分にその時期が来たのか。といったところが正直なところ。

 

今のパートナーも自分の才能を認識しながらもその才能を充分に発揮できなかった無念さを抱えているし、同じ共通の課題を抱えているんだなと思った。

 

ただ、そんなに悲観視はしてない

 

ようやく、今までの悔しい想いが表に出てきて

それを今回、表現できたことは誠に嬉しい。

 

この悔しい想いを心のどこかでは感じていたが、なかなか表に出すことができなかった。

それを感じてしまうのが認めてしまうのがどうしても怖かった。

 

でも今回こうやって表現できたことは素直に嬉しい。

 

これから、自分自身をどうやって表現していこうか。自分の想いを伝えるというのはどういうことなのか。

 

そこに意識が向くのは今までなかった領域なので、そこはただ単純に嬉しい。

 

自分はなにを想い

そして自分はどう伝えるのか

そして人にどう思ってほしいのか

 

それを探す旅が今から始まる

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おもしろ可笑しくしないといけないと思い込んでいた

どうもこんにちは

ユウスケです

 

どうもわたしは

自分はつまらない人間だという

思いが強すぎて

自分を自己否定することが多い

誰かと一緒にいると

すぐ何か気の利いたことを

言わなきゃとか

面白いことを言わなきゃとか

相手を楽しませないといけない気にすぐなる

どちらかというと

そんなにわたしは

ベラベラと話をしたい人間でも

なくただ黙々と自分の興味あることに

集中しているほうが

ずっと心地いいし満たされている

中学くらいの時から

そんなに喋らない自分は

つまらない人間なんだと

大勢いるなかで騒がない自分は

社会不適合なんだと

すごく攻め入っている自分がいたけど

しかし、最近面白い本を読んだ

「内向型人間の時代」

という本

そんなに本来外交的でない自分は

なんとか色々自己啓発をしていく

ことで人とのコミュニケーションを

することができるようになった

ある程度はそれなりに

人と付き合える

 

しかし、本質的に人とのコミュニケーションが

たのしいのか?と言ったら

やはり心から楽しいとは思っていない

 

ひとりになりたくないから

人と繋がっている風を見せないと

なんだか価値のない人間だと

自分を思ってしまうから

 

そんな自分が最初の思いだったりする

 

だから自分の無価値観からか

自分がつまらない人間だと思っているからか

 

人と一緒にいる時は

常に自分は価値のある人間なんだ

面白い人間なんだと

そんなことを無意識で

主張している

 

人に馬鹿にされても

茶化されても

自分はそんなこと言われても当然な存在ですよと自分で自分を貶めている

 

最近気づいた

本当は自分は真面目でいたいんだって

 

真剣でいたいんだって

 

何かを茶化して曖昧に

有耶無耶に本当はしていたくないんだって

ことに

 

笑って誤魔化すっていうのも

なんだか本来の自分ではないなと

 

もっと真面目に生きていたいんだな

ともっと誠実でもいいんだなと

自分で自分のこと思ったんだよね

 

変に面白おかしくしなくてもいい

ってすごく楽なんだ

 

真面目にしていてもいい

変に気をてらわなくてもいい

 

変わったことをしなくてもいい

 

それってすごく自分のなかでは

大発見でした

 

今の時代

外交的な人間がすごく

もてはやされるけど

内向型人間のソフトパワー

繊細さ、誠実さ、洞察力、創造力

 

そんなあまり目立たないけど

しっかり根を張って着実に生きている

 

そんな人間の凄みを

感じられる一冊に出会いました

「内向型人間の時代」

オススメです

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真面目に生きてもいい

ずっとわたし勘違いしてたんだけど

真面目に生きてもいいんですね

 

ずっと真面目に生きちゃいけないって

思い込んでいました

 

ずっとどこか真面目に生きることを

放棄して

 

ずっと茶化していないといけないと

思っていました

 

それが染みついて

人生そのものがどうでもいいものみたいに

なってました

 

あぁ真面目な人間やっててもいいなんて

意外に楽なんだよ

 

無価値観と向き合う

自分の無価値観と向き合う

それはとても苦しいことだ

自分なんてこんなもんだとか

なんで今まで色んなことにチャレンジして

こなかったんだとか

最近になってすごく感じる

 

いま、埼玉の田舎で宿と食事を

用意してもらう形でカフェの

手伝いをしている

 

このカフェは和文化のテーマパーク

場所はこちら

https://www.facebook.com/Ermot.Cafe/

 

その中で自分のFacebookでの

発信を見て、ちょっと手伝ってくれないかと

お声を掛けて頂き、参加させて頂いた。

 

当初はここのPRを兼ねてSNS

拡散してほしいと言われた

 

自分はある程度Facebookなどで

発信をしていたので

それをするのは容易いことだと思った

 

しかし、このカフェに来て

思ったこと

 

それは自分って

集客するためのスキルなんて

ほとんど無いんだなってことだった

 

自分の想いをただ一方的に発信するぶんには

自分の想いを発信するだけでいい

 

しかし、見ている人に

こう魅せたい こう思ってほしい

という人がこの場所に来たくなる

ようなことはほとんどといっていいほど

出来ないということを気づかされて

かなり愕然とした

 

20代のころ

かなり人生を諦めていたというのも

あるが、もっとネットやらコンテンツを作る

ためのスキルを身につけておけば本当によかったなと後悔した

 

今まではかなり抽象的で言葉遊び的な

漠然としたものが本質だと

思うところがあったが

具体的な行動や客観的な観点の分析など

 

現実面に即した

具体的、客観的な力はほとんど

付いていなかったなと

すごく後悔した

 

こうしたら見ている人に

うまく伝わる

 

こうしたら見ている人に

受け取ってもらえる

 

自分の伝えたいこと

思っていることを

 

人にちゃんと受け取ってもらうには

それなりの技量やテクニックが必要だ

 

そのためのスキルは

ほとんど身につけていない自分に

 

ここに来て

かなり感じてしまった

 

「自分は思ってるほど大した力はない」

 

もっともっと力を本当は

身につけていたかったのに

 

今ある力量に愕然としてしまった

 

「自分自身の無価値観」

「なにも出来なさ」

 

こういったところは

人生を長い間諦めて生きていた

自分にとってかなり根深く残っいる

 

本当はもっとできるはずなのに

こんなものではなかったのに

 

もっともっとちゃんとした環境が

整っていればもっと活躍できたはずなのに

 

悔しい想いがふつふつと

湧き上がってくる

 

自分はまだ31歳でこの先まだまだ長い

 

ずっと死にたいと思っていた20代のころ

に比べれば「この先まだまだ長い」と

言える今の自分はかなりすごい

 

ずっといつ死のうかと思っていた人間に

とって「この先」もクソもなかったかならなぁ

 

でもいまはまだまだある「この先」を

どうやって生きていこうかと

悪戦苦闘の試行錯誤で

生きている

 

今まであった自分と今の自分とこれから作っていく自分とどうやって折り合いを付けるか

 

過去の自分と今の自分、そしてもっともっと

前にいる自分を今の自分と繋げていく作業は

すごく楽しみなんだ

 

自分のルーツと今の自分を繋げる

 

繋がれば繋がるほど

自分自身に誇りが持てると思うんだ

 

自分の無価値観

自分のルーツ

 

こことこことが

どうやって結ばれるか

ここが今の自分の中のテーマ

 

読んでくれてありがとう

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恥をかけばかくほど楽しくなるゲームの設定にしちゃえばいいんじゃないの?

まあ、

なんかいろいろと今日も単発のバイトで仕事しながら思ったんだけど、

本当、恥がなかったらなんでも出来るよなって。

 

でも、恥がなかったらそれを乗り越えて何かを達成する喜びもないよなって。

 

本当、頭の中ではあんなことやこんなことやったらどうなるんだろう?っていろいろと思い浮かぶ

 

でも、そうしない

 

それは何故か?

 

それは

人からどう思われるかがチョー気になるから

恥ずかしい思いをしたくないから

奇異の目で見られるのが超恥ずかしいから

 

でも、この世界って

ゲームなんだよね

あまりにもリアルなゲーム

 

その中では、見えるし、聞こえるし、触れるし

あまりにもリアル過ぎて

リアルと勘違いしちゃうくらい精密な

シミュレーションゲーム

 

でもリアルではない

 

でも今日、声が聞こえたんだよね

自分から 

 

「なんでゲームなのに楽しまないの?」って

 

でもいつもいつも

おんなじこと言ってたんだよね

本当の自分は

 

「なんでゲームなのに楽しまないの?」って

 

それをずっとずーっと無視し続けてた

 

「だってしょうがないじゃん、そんなことしたら恥ずかしいし、そんなことしてる人見たことないよ。」

 

でも、本当の自分は言い続けてた

「なんでゲームなのに楽しまないの⁈」って

 

でも、恥ずかしいんだよね

何かを失敗するのが

 

でも、ゲームだったらいくらでも出来る

 

なんでも出来る

 

その違いは何??

 

それは

恥があるか、ないかだけだと思うんだよね

 

で、そこで思いついた

 

「恥をかけばかくほど楽しくなるゲームの設定にしちゃうばいいんじゃないか?」って

 

本当は楽しくなりたいのになかなか楽しめない

 

何故か?

 

恥ずかしい思いをしたくないから

 

だったらそれをミックスしちゃえばいい!って

 

恥があるから出来ないんなら

 

「恥をかけばかくほど楽しくなる設定に最初からしちゃえばいい」って

 

人間は心底本当は変態だと思う

強烈な恥の感情を抱くものは

心底やりたいと思っていること

 

この恥の感情を楽しめるようになったら

本当、人生ボーナスステージだと思う笑

変態と気持ち悪さ

今日は女の人に随分と清々しいことを言われた

 

「きゃー!変態!気持ち悪いぃぃぃ!」

 

ただ電話でのやりとりだけなんだけど

こんなにも嬉しい気持ちになったのは

随分と久しぶりだった

 

なんていうか心の底から嬉しかった

 

前々から自分でも自覚していたが

わたしは変態で気持ちが悪い

 

その変態性を表に出さないから尚更

周りの人には気持ち悪く映るのだろう

 

そのことをズバッと指摘してくれた彼女には

なんとお礼を言っていいか分からない

 

そして、彼女の人を見透かす能力は

他の面でも素晴らしかった

 

わたしが基本、人をちょっとバカにしていること。子供の頃、迷路が好きだったこと。難しい問題を自ら創り出して、それを解くのが好きなこと。

 

その他にもまだまだあるらしい

 

こんなにもズバズバ言ってくれる人を

わたしはずっと求めていた気がする

 

人は無意識深くに思っていることを

外から言葉にして言われると

物凄く動揺するか、歓喜する

 

しかも、自分でも気づいていなかった

自分を他人に言われるほど

嬉しことはない

 

「そんな自分に気づいてくれてありがとう!」

 

そんな言葉が口をついて出てくる

 

わたしは変態だ

変態であることに後ろめたさも感じている

 

しかし、これを表に出さない限り

わたしが本当に求める答えは返ってこない

 

自分のすべてを出し切って

もう出すものが何もないというところで

はじめて、人はこの世界にまだ誕生していない

新たなる可能性の間を発見するのだろう

 

出来れば自分の中身をすべて

世界に投げ出してしまいたい

 

そして、空っぽになったところで

また新しい可能性と出会う

 

世界はこのようにして

創られていく

 

終わらない宇宙の進化発展

 

それはすべてを出し切り

そしてすべてを得ること

 

そして完全に満足したところで

また、新しい可能性を運んできてくれる

 

本当に終わらないこの宇宙の仕組みに

ただただ感服するばかりだ

 

なので、自分の変態性っていうのは

もっと出していこうと思った夜だった